多幸症

放っておけば良いものを学者さんってのはやたらと命名して実績を出したがるような所があると思っているのですけど、今回のコラムは少なくなった多幸症な人です。

多幸症とは自分がいかなる状況でも幸せいっぱい夢いっぱい、頭の中は綺麗なお花が咲き乱れて春風が吹いているような人の事なのだそうですけど、そんな人は昔から特に日本は豊かな自然と風土の中で他国と比べて多かったんじゃないでしょうかね?

その昔はそーゆー人のこと、をおめでたい奴なんて呼びまして一種の愛情を持って接していたと思いますし、何故かこの手の多幸症の人の名前が日本では決まっていてその名は与太郎と言います。

でですね人の心の中の状態ってのは本人以外の他人は窺い知る事が多少出来ても基本的には無理ですから、実際は分かりませんけどその昔は結構身の回りにプチ多幸症みたいな何時もニコニコしていて幸せそうな布袋様みたいな人が居たんですよね。

それがどうでしょうか自分の周りを見回しまして多幸症と言わないまでも何時も幸せ感を体から醸し出している人ってのがすっかりいなくなってしまいましたね。

そ~いえば昔の会社ってのはけっこうその得体が知れないとも言えますけど、何の仕事をしているのか良く分からないけれど会社にいる間は何時もニコニコして周囲に温かい空気が流れているような人が程度の差こそあれ結構存在していたんですけど、こっちもすっかり消滅しちゃったみたいですね。

この辺りは何と言いますか社内では何時もしかめっ面した難しい顔をして厳しい表情をしていたほうが偉く見えるみたいな屈折した心を持っている人が増えたせいなんでしょうけど、別に難しい顔をしているからといって会社の業務に関係する難しい事を考えている訳じゃなくて、単に今日の昼飯はどこで何を食べようか必死になって全力で考えているだけだったりするんですけどね。

更に書き加えますと多幸症な人が減って難しい顔をしている不幸面をしている人が増えたのは現実社会が厳しくなった事が一番ですけど、やっぱり心の中の状態と表情とか雰囲気をコントロール出来ない子供な人が増えたのでしょうね?

やっぱりね特に組織で働くなんて場合においては、私生活ですとか業務上で色々と心を痛める問題やトラブルを抱え込んでしまう場合が少なくないんですけど、そこは大人でしたら自分の心の中に仕舞いこんで表情に出さないのが大人ですし、それができないで直ぐに表情に出ちゃうなんて人はやっぱり精神的に子供なんですよね。