目指せ成金
成金って言葉は良い意味で使われることはなくてネガティブな表現で使われますよね。
元々成金の意味は将棋の世界からきていまして、一兵卒である”歩”が見事敵陣への討ち入りに成功いたしますと、その能力が金将に四階級特進するところから、貧乏だった人が何らかの理由で一気にお金持ちになった時にその人を指す言葉なのはご存知ですよね。
この辺りは西洋生まれのチェスと根本的に考えが違うところで、行商人から天下人になった羽柴秀吉を産んだ国とは違って、各コマは持って生まれた身分立場のまま一生を過ごすわけですね。
あのねぇ”歩”に生まれたらどんなに頑張っても一生”歩”のままってのはそれは理不尽なので有りまして、最初から金将の立場の場合よりもよっぽど苦労しているんですから、少しは成金って言葉の使い方を考えたほうが良いのでは無いでしょうか?
不思議なのはかの松下幸之助さんですとか本田宗一郎さんを絶対に成金とは呼びませんけど、一気に急成長した社長なんかの場合は事業に失敗するやいなや成金趣味がどうのこうのと始まるのがとても良くない感じが致します。
かくいう私は会社を創業して成金を目指していますと断言できるので有りますが、なんだか本来の立身出世的な意味合いは全然なくなっていますからね、この成金て言葉はね。
なんというか成金って言葉には2つの背景があると思うのです。
一つはね成功した人に対するやっかみやヒガミみたいな嫉妬心からきているものでしょう。
まぁ宝くじに当たったとか、庭の畑でポチが鳴くので地面を掘ってみたら大判小判がざっくざくみたいな本人の努力なしで、大金を手にした人に対する場合でしたら理解も出来ますけど、若くして事業を起こして持ち前の才覚で短期間で財を成したなんて人まで成金みたいに呼ばれるってのは良くない風潮ですよね。
そして2つ目はやっぱり親子代々の既存の富裕層な人が急に金持ちになったって俺達は違うんだからね、生まれ育ちから上流階級な我々とにわか金持ちを一緒にしないでねって意味合いがあると思うのです。
まぁこれも嫉妬の一種なんでしょうね。
追伸
嫉妬って感情が一切心に芽生えないようにすることはたぶん悟りでも開かないと無理なんでしょうけど、それを自分のやる気にかえるだとか、酸っぱいブドウの理論で何とかやり過ごすって事で何となくみんなやり過ごしているのですけど、中には足を引っ張ろうとする人が出てきちゃうんですよね。
たぶんそれで途中で足を引っ張られて成功まであと一歩で挫折しちゃった人も少なくいないのではないでしょうか?