公的医療保険とグローバル経済

いまこのコラムを書いている同じパソコンの画面の隅っこでは国会中継が続いています。

本日は衆議院予算委員会ではTPP関連集中審議が行われていますが、そのなかでしきりに話題になっている公的医療保険、民間の医療保険とガン保険について思うところを書いてみようと思います。
さて巷では日本の公的医療制度を守れとか民間の医療保険は高くてカバーする範囲が限られているとか、逆に外部からは日本の公的医療保険制度(国民皆保険)制度について縮小または撤廃の圧力があると喧伝されています。

普通に考えれば国民の誰もが収入に応じた掛け金(毎月の保険料の支払い)で、加入者が平等で高度な医療制度を享受できるって事は日本が世界に誇れる制度だと思いますし、そんな民間の医療保険なんて推進しないで日本みたいな制度を今からでもつくりゃ良いのにと思いませんか?

まぁ新自由主義といいますかグローバル経済の信奉者の方たちは、なにはなくても金(マネー)を稼ぐことが最終目的ですからそ~ゆ~人たちにとっては、日本国内の国民健康保険だとか社会保険の制度なんてものは、民間の経済活動を阻害する要因でしか無くてそれらは廃止させるのが正しいことなんて考え方なのでしょう。

まぁ日本の保険制度の発症といいますかルーツみたいなものは講(こう)と呼ばれる相互扶助の集まりですとか、長屋(集合住宅)や集落単位で、病気になったり困ったことになって仲間をみんなで助け合って支えあう制度が根本にありますから、海の向こうからやってきた資本主義経済発祥の営利目的の保険制度とはちょっと風土的に違うと思うのですよね。

例えば過去の事例を見てみますと、神戸大震災ですとか3.11東日本大震災などの大規模な自然災害による、家屋の倒壊ですとか多数の死傷者が発生してしまった痛ましい事例が記憶に新しいですが、保険金は無事に被災者に支払われたと聞いています。

そんなの当たり前だろって声が聞こえてきそうですけど、実は保険約款と呼ばれる保険契約の契約書には通常(一般的に)自然災害による被害は補償の対象外と記載してありますから、保険会社は約款を盾に保険金の支払いを拒否する事も出来たのでしょうけど、日本国内の慣習といいますか阿吽の呼吸といいますか保険金の支払いを拒否する事もなく無事支払われていますね。

何と言いますか日本的な曖昧さの良い例であると思います。

これが契約在りきの社会になりますと、約款を盾に一円の保険金も支払われることはなかったと推測いたします。

このどっちの社会が良いのか良く考えてみる必要があるのではないでしょうか?