お金に意思はあるのか?無いと思います。

二十代の頃は随分と啓蒙書の類ですとかビジネスで成功した人の書いた本を読んだりしたものですけど、お金には意志があるって話、結構多くないですか?

お金は寂しがりやだから集まりたがるとか、きれいな財布じゃないとお金は嫌がって出て行くものだから財布は常にきれいなものを使って、お札は揃えて入れておくなんて類の話ですけど、本当にお金に意志があるのでしょうか?

確かにね貧乏な人はポケットに突っ込んだクシャクシャのお札でしかも汚れている感じですし、裕福な人は革製の立派な札入れに現金を入れているってイメージですけど、まぁそれだけの現象だけを見ればなんだかお金(現金)には意志とか気持ちみたいな物があって、大切に扱ってくれる人のところに集まるような気も致しますが、なんだか厚付けの理屈のような気もしますし、昔聞いたある話があってお金に意志があるって説に懐疑的になってしまうのです。

その話とかとある消費者金融関係の人の話なんですけど、お金を借りに来る人ってのはいかにもお金を持ってい無さそうな貧乏な外見の人は皆無で、逆にねビシッとスーツを着てちゃんとした身なりをした人ばかりなのだそうです。

その話から致しますといくら綺麗な財布にキチンと大切に現金を入れて持ち歩いても、勝手にお金が集まってくるようには思えませんし今は裕福な生活をしている成功した社長さんとか経営者の方の中には若い頃は身なりには一切構わず真っ黒になって肉体労働を頑張って、商売を始める資金を貯金したなんて話も有りますからね。

更に懐疑的になってしまうもう一つの大きな疑問があります。

投資家とか投機家とか言われる人たちってのは現金もゲームのチップも同じような感覚で、働くわけでもなく見返りがありそうな投資先にお金を投資してですね、配当を貰ったり手放したりして大金を得たり時には大きな損をしていたりするわけですけど、もし仮にお金に意志が存在するとしたら、そんな自分たちをマネーゲームの道具にしか扱わないような人の元からは逃げていくような気がするんですけど、何故か投機マネーなんてものは、実体経済には中々回ってこなくて金融機関と投資家の間を巡回しているだけなので有りまして、これってお金に意思があるとしたら説明が付かないと思うんですよ。

例えばお金が普通に使われて道路ができるとか港が出来て船の発着が始まるなんて、お金がですね自分の価値によって人々の役になるような構造物になったり、また人の命を救うような使われ方をする所に本当にお金に意思があれば集まると思うんですよね。

それともお金ってのはもっと性格が曲がっているのでしょうかね?