ツイッターと生存確認

一応私も念のためって感じでツイッターにアカウントを取ってぼちぼち使っているのですが、どーも使い方がイマイチ理解できなくていつの間にかサイトの更新情報的な使い方と、知り合い及び自分の生存確認用みたいな感じで使うのが定着致しまして、リアルタイムでツブヤクってのが未だにできないのであります。

たぶんこれは私が文章を要領よく短く簡潔明瞭にまとめるのが苦手で、ツイッターの一回のつぶやき制限値であります140文字だとどーしても足りなくなってしまうって私の文章力の問題もありますし、独り言を言うよりもコラムとかチラシの裏に勝手に自分の考えていることや思っていることを書いてストレス解消していたので、ツイッターが登場したからって事で喜んで何かツブヤクって事はなかったんでしょうね。

ただツイッターが世の中に出てきて便利だなって思うのがツイッターで生存確認がやりやすくなったって事ですね。

これはこっそりの場合はフローしないでお気に入りから更新をチェックするのですけど、何といいますか気になる人が元気にやっているかなとか、最近は発言が少ないけど元気かななんて感じで内容はともかく、生存確認で活用できるように感じています。

でまぁ今働き盛りでバリバリ第一線で働いている人も残念ながら何十年か後には立派な老人になっているのでありまして、中には痴呆状態になっている人もいるでしょうし私もどうなっているのだかわからないのですけど、その頃になりましたらボケ防止と生存確認用にツイッターを本格的にやっているかもしれないですね。

まぁ最低一日一回ツイッターでつぶやきましたら、ああ生きてるなって子どもが生存確認できますし書いている内容が一応しっかりしていたら、大丈夫しっかりしているって判断できると思いますし内容が支離滅裂になってきて同じような内容の繰り返しになってきたらどうも痴呆が進んできたので様子を見に行ってお医者さんに相談してみようなんてね。

まさかツイッターがそんな目的で世の中に出てきたのでは断じてないと思いますけど携帯電話とか使う場合に比べて、複数の人が生存確認したり様子を伺いするのにツイッターはとっても便利な気がするのでありまして、やがてそーゆー離れて住んでいる人とか遠隔地の介護とか医療用に活用されてくるのではないかなって思いますね。

もしかしたら高齢化が進んでしまった未来の日本ではそんな老人がインターネットを最も利用していることになっているかもしれないですね。