酸っぱいブドウ
昔々有るところに・・じゃなかったこのお話はイソップ童話ですからイギリスのとある場所になるのだと思いますが、ブドウの実った木の下を一匹の腹を空かせたキツネが通りかかりまして、まあ何とかしてブドウを取ろうと頑張るわけですが、結局無理なものですから捨て台詞「今日はこの位にしといたるわ」じゃなかったこれは池野メダカさんでした、キツネはどーせ取れなかったブドウは酸っぱいに違いないとか何とか負け惜しみを言いながら去っていくってお話なのですね。
私はこのお話を学校で習ったのですが、どうもこれを教科書に掲載して教えるって事の意味は資本家の皆さんが、労働者階級が貧乏でも我慢して働くように仕向ける為にこの酸っぱいブドウの話を教えて居るのではないかと睨んでいるのであります。
つまりその社会に出てから、例えば高級車だったり田園調布の高級住宅だったり、黄金で出来た風呂桶だったりとにかく高価で普通に大学を出て平均的なサラリーマンをしていても絶対に買えない物が欲しくなった時に、自ら他人の為に汗水垂らして働くよりも、人を使って儲ける経営者の道を目指す人が沢山出てきてしまいまして、優秀で勤勉で文句も言わない労働者が減少して経営者を目指す人が増えて来てしまいますと、経営者にとっては大変困った状態になってしまうので有りまして、それよりも酸っぱいブドウの論理?かなにかを深層心理に埋め込んでしまいまったほうが都合がよいのですよね。
高級車を見ても、あれは無茶苦茶スピードが出るので危険だし盗難の危険性も高いので買えなくて良かった、田園調布の高級住宅を見ても金持ちだと宣伝しているようなもので泥棒や強盗を呼び込んでいるようなもので買えなくて良かったとか、黄金の風呂桶を見ても檜の風呂には敵わないって事で自分を納得させまして、会社から提示された給料の中で慎ましく暮らして、毎日言われたとおりに一生懸命働くって事になるのでしょうね。
追伸
これからの日本を活力有る社会にして国際競争に打ち勝っていくようにする為には、酸っぱいブドウの論理なんて教えてはいけないのでありまして、諦める事を覚えさせるよりも、努力の結果ブドウを手に入れるって事にしなければいけないのですよね。
逆に日本の立場を脅かしそうな諸外国に対しては酸っぱいブドウの絵本を大量に製作致しまして、無料にてチョコレートでもおまけに付けまして配ってしまうってのは如何でしょうかね?
まあ実行されるわけが無いでしょうけどね。